自転車に関わる事について、見せたり、伝えたりしながら生きています。
先日、たじみ陶器まつりで2日間、初めて大道芸として出演し、「投げ銭」という形での報酬をいただきました。「投げ銭」ですから、頂くのは演目を観て頂いた皆さんからです。
初めて目の前に差し出される「投げ銭」は、想像をはるかに超えて怖いものでした。演目を終え、目の前に投げ込まれるお金は、普段目にし、手にしているお金とは全く別のもののように感じます。
演る前までは、それは評価だと考えていました。
楽しんで頂けるものができれば、その分頂けるものだとなんとなく思っていたのですが、実際にやってみるとその考えは違っていたように思います。
子供が、自分の財布から十円玉を入れてくれます。
お酒を呑んだおじさんが、びっくりするような金額を入れてくれます。
おもちゃの宝石をくれた子がいました。前日に観てくれて、次の日もその宝石を渡すんだと親にねだって再来場してくれたそうです。
お菓子の首輪を作ってきてくれた子もいました。その首輪にはたくさんの種類のお菓子が入っていました。
2日間計5ステージを全て観てくれた子供もいました。
そして何も知らずにお祭りに来て、立ち止まって観て頂き、一声掛けて頂いたり、すっと仏頂面で入れていって下さった大人の方。
形にも残らず、知識が増える訳でもなく、ただ観たということのみで入れて頂く「投げ銭」は、かならずしも評価や対価では無かったように思います。
もっとなまなましい、意思のような、気持ちのような、そういうなにか。そう感じながら受け取りました。
そしてなぜか18年前の自分を思いだします。
自分でショーの依頼を受けるようになった18年前、報酬はあったりなかったり、多かったり少なかったりしました。そんな中で当時の相方とよく話してたのは
「報酬の有る無しに関わらず、報酬を払って当然だと思えるショーをする」
それは、ともすれば自己満足に陥ってしまいがちな自分達に対する戒めでもあったように思います。実際の金額の多寡ではなく、喚んで頂いた方にもちゃんと「喚んでよかったね」と思ってもらえるよう、なによりも観る事でご自身の時間を預けていただく方に報いるだけのクオリティを提供していたいと。
生意気にもそう思っていた自分たちを懐かしく思いだし、初心に還った気がする自転車乗りでした。
元写真提供 : O-ike
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