いつかどこか旅の空の下で

TB(ティービー)

TB(ティービー)

アイ−ゴナ【i-57】発起人でサイト制作を担当
バイクとIT大好きデザイナー。
趣味は旅とオートバイとMac。休日は愛車ハーレーダビッドソンで日本全国を走り回っています。
名古屋モード学園卒業後、アパレル会社の企業デザイナーを経てフリーランスとして独立。その後ITの世界へ転身。
現在の仕事はウェブサイトのデザイン、企画、制作及びディレクション、運用コンサルティングなど行っています。
株式会社パイグラフィックス 代表 ▶facebookはこちら

http://www.pi-gra.com/

1.プロローグ

1994年8月、会社を辞めた俺は失業保険受給を申し込み、お金が降りるまでの間バイクで一人旅に出ることにした。
敦賀からフェリーで函館へ渡り、北海道をキャンプしながら一周した後、涼しくなった頃に青森へ渡り、日本海側を通って戻ってくる約2ヶ月の旅程。


 

2.出会い

9月8日
8月初旬に北海道に渡り、約1ヶ月かけて北海道を時計回りに回った俺は、途中で知り合った織田裕二似の関西人、GSX-R1100に乗る大手(おおて)と一緒に、函館から青森行きのフェリーに乗りこみ、少し肌寒くなってきた北海道を後にし、本州に渡ることにした。

フェリーで京都から来たXT400に乗った薮田くん、札幌から来た麻美(まみ)ちゃんと知り合う。
長身の麻美ちゃんは俺と同じカタナ。
だけど、俺のカタナは750cc、彼女1100cc。ちょと悔しい。。

青森までの約4時間の船旅。
4人がそれぞれ走ってきた北海道のルートや食べた物、出会った人たちの話、経験したことなんかを話してたらあっという間に時間は過ぎて、青森到着。

「じゃあまた!」

フェリーからオートバイを下ろして4人はそれぞれの方向へ。


 

3.くされ縁

俺は今日の宿泊予定地、十和田湖へ向かう。

途中スーパーで買い出しを済ませ、十和田湖の滝ノ沢キャンプ場へ
キャンプ場に着き、宿泊申し込みノートを開くと、大手の名前が。

申し込みを済ませてバイクから荷物をおろし、テントサイトへ歩いて行くと、大手がニヤニヤしてる。

「金魚のフンですかぁ〜、もう着いてこんで下さいよぉ〜(笑)」

「バカヤロー!誰が金魚のフンじゃ!着いてってるわけじゃねーよ!(笑)」

お互い爆笑

大手とは一緒に走ってるわけじゃないけど、走るルートが似てて、富良野あたりからずっとキャンプ場が一緒だ。
1〜2日会わなくなっても3日目のキャンプ場でまた会う、そんな感じ。
ホント、くされ縁だ。

大手に話を聞くと青森港から恐山を回って十和田に入ったらしい。
さすが、GSX-R1100。
ぶっ飛ばし男、恐山を回っても俺より到着が早いとはまさに恐れいった。

そうこうしてると、フェリーで一緒だった薮田君がやってきた。これまたくされ縁(笑)
3人でメシを作って食ってると、夜8時過ぎ、なんと、カタナ1100の麻美ちゃんもやってきた(笑笑)

真っ暗の道、半べそかきながらここにたどり着いた麻美ちゃんの話を聞いてみんなで爆笑。
その夜は4人で遅くまで話してた。


 

4.正夢?

翌朝、嫌な夢で目が覚めた。
夢の内容は、、うぅ〜

思い出したくもない。頭を振ってネガティブになりそうな気持ちを振り払う。

キャンプ場を8時半頃出る。
大手と一緒に展望台まで行き、そこでコーヒーを飲んだ後、彼と別れ、俺は国道103号で鹿角市を目指す。

しばらく走ると、渋滞してた。

救急車とパトカーのサイレンの音。

事故だろうか?

側道をすり抜け進んでいくと、渋滞の先頭でバイクが横たわっている。

「!!!」

まさか、

恐山の呪い・・・、

いやいや、そんなはずはない。

よぎる思いを打ち消す。

頼む!たのむから、、

心臓がバクバクする。

倒れてるバイクは白×青のGSX-R1100。

削れたヘルメット。

道路には大量の血。

ヤツだ、間違いない。

夢では俺が事故るはずだったのに、なんで大手が・・・、

足の力が抜けそうになる。


 

5.別れ

震えが止まらない。

バイクを停めて、交通整理をしてた警察官に事故の状況聞く。

脇道から飛び出してきた車とぶつかり、全身を強く打って意識不明になり病院に運ばれたらしい。

その後、警察に関係を聞かれ、彼の住所を知ってるという事で交番で事情聴取を受ける。
事情聴取の途中、警察に電話が入り、大手の意識が戻った事を知らされる。

まだ安心はできないが、とりあえずはホッとする。

その後、病院へ行くと、薮田君と麻美ちゃんも来てて、病院のロビーでしばらく時間をつぶすが、大手は集中治療室でしばらくは面会謝絶。

意識は戻ったものの、ひょっとしたらもうオートバイには乗れない体になってしまうかもしれない。

3人ともなんだか、やるせない気持ちでいっぱいだったが、気を取り直さないと、明日は我が身かもしれない。

携帯電話もない時代、何か容態が変わったとかあれば各自の実家に電話をもらうという事にして、それぞれ旅を続ける事にして別れた。


 

6.再会

月日は流れてあれから18年。

今年の1月、写真を整理してたら当時の日記を見つけた。
そこには大手、薮田、麻美 3人の名前が書いてあった。
ひょっとしてfacebookで見つけられるんじゃないかと、それぞれフルネームで検索してみた。

薮田君らしき人を発見。
プロフ写真、当時からしたら当然年は取ってるけど、似てる。

プロフによると住所は大阪だけど、出身が京都とあるし、掲載されてる写真がどれも綺麗だ。
当時カメラマンを目指していると言ってた事を思い出した。

ほぼあの薮田君に間違いない!

と思い、facebookメッセを送ってみた。

待つこと、数ヶ月、、返事はこない・・・。

人違いだったのかなぁ、と思い、忘れかけてたところ、なんと約7ヶ月と20日経った一昨日、やっと返事が来た!

やっぱりあの時の薮田君だった!

メッセージまったく見てなかったとのお詫びの言葉とともに、あのあと、カタナ1100に乗ってた麻美ちゃんと付き合う事になり、結婚。
6歳と2歳二人の子供にも恵まれ幸せに過ごしているとの事だった。

なんだか嬉しくて、メッセージを読みながらほのぼのしてしまった。

そして、今でもオートバイに乗っている、と書いてあった。

なによりそれが一番嬉しかった。


 

7.エピローグ 〜旅の空の下で〜

気になるのは事故した大手のその後だが、

薮田君の話では、あの後奇跡の復活を遂げ、今はオフ車に乗り換え、元気らしい。

良かったぁ〜。

彼のメールの最後に

「またどこか旅の空の下でお会いしましょう。」

とあった。

またいつかどこか旅の空の下で。。

きっといつかどこかで会えるだろうね、オートバイに乗ってるなら。(^^)

にしても、facebookってすごいね。

写真上左から
薮田、麻美、俺

写真下左から
薮田、大手、俺

▼記事が気に入ったら是非「いいね!」をよろしくお願いします。

コメントを残す