雲南でウルルン <うどん屋アジアン放浪日記memo>

sottaku キモト

sottaku キモト

アイ−ゴナ【i-57】コーディネーター。
20代半ばずっとくすぶっていたアジア放浪が我慢出来ずまずは働く為にオーストラリアへ!地元レストランで採用されそのまま一年英語と料理修行。そして念願のアジア各国一年間放浪!!!
帰国後確信した天職飲食店、人と人が繋がる空間。
人と人を繋げるi-57で東濃から世界へ!
多治見のカレーうどん・そば屋『そったくどうじ』店主
スーパーファンタスティックヌードルズ合同会社代表 木本真義

http://www.facebook.com/sottaku

1999年6月末。

当時アジアを放浪するイメージこそ雲南の少数民族の町だった。おそらく椎名誠の‘中国の鳥人’という短編のイメージだろう。

そんな雲南に辿り着き歩き回った。しかし僕が訪れた時期にはすでに観光地化され整備された町並みになっていた。

もちろんちょっと入ればこんな感じだったが。

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そんな時どういういきさつだったか覚えていないが(もしかしたら言葉が通じないから訳もわからず勘だけで動いた気がするが)、山へ向いたく自転車を借りる事になった。

自転車に乗った僕はもうウキウキで仕方なかった、なぜなら鳥人の村に行けるかもしれない!って思って。

もちろん鳥人は見られなかった。(隠れていただけだろうが)

ただ光景はまさに想像していた通り!

地理もわからず着いた大きな湖が出て来た。が、さらにそこから湖を渡ると少数民族の村がある事も小舟で渡って来た民族の雰囲気でわかった。

と、気づいたら小舟に乗ってその村へ向っていた。。。

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ゆらゆらと。人も湖も緑も空も絵に描いたよう。

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途中オールを渡され舟漕ぎを手伝わされ、、、

着いた!!!

しかし今振り返っても怖い物知らずだ。。。

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カタコト中国語会話どころか筆談も全く通じなかったが、少数民族のおばあちゃんは旅人に心優しくすぐにここで泊まりなさいと仕草し、食事も用意しだしてくれた。

僕の様相はさておき、、、すごいおもてなしだ。ごちそうの数々。申し訳なかった。

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食事後、若夫婦が夜の集会所へ連れ出してくれた。

なんだかわからなかったけど、いつかのお祭りの為の練習がてらのお遊びだったのかな。

ちょっとお酒やつまみまで頂いちゃって。

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翌日朝取って来た野菜を小さな子供達がまさに‘芋洗い’のお手伝いをしていた。

僕も手伝おうとしたが、言葉が通じないのは元より小さい子達だったのでちょっと怖がっていたから遠目に見守っていた。

なにか少しはお役に!と、芋をひとつひとつ洗っている子供達に小石をいくつか持って来てこうしていくつかの芋と一緒にゴロゴロやると早く洗えるよと見本をみせてあげたら早速マネして笑ってくれた。

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この後も各国で勘に頼り、アジアの本当の地元の姿に触れていった。

ちょうど当時人気のウルルン体験記のようね。

 

よく生きて帰って来たオレ。。。

よい子はマネしないように〜。

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