『数学の演奏会』
数学の講義だったら敬遠したとこでしたが、アイデンティティツールが増え世界観がもう一つ増えたらいいなと参加してきました、数学の演奏会。
想像以上に概念として面白かった。
冒頭の説明で、数学と言うアートをわかりやすく表現に落とし込む道具がないから数学は誤解され敬遠される。
音楽が音符の集合体の譜面を見てアートに落とし込める人は少ないが、音楽にはピアノやバイオリンやギター等楽器という道具があるから万人にアートとして表現して落とし込める。と説明される。
ナルホド!
そして、遅咲きの数学者として独立数学者として数学を演奏するように表現して広めたいと森田真生氏。
スバラシイ!
彼、若き独立数学者は哲学としての数学を歴史でも完璧に捉え、科学やアートとしても面白く表現し落ち着き無く(失礼)壇上を動き回り視覚的にも音的にも見る物を離させなかった。
ひとつひとつ彼の演説をこうして説明するには自分のストックヤードが稚拙すぎて何一つまともに表現出来ない。。。
ただ1次元だったものが一気に3次元の意味合いを見せつけられた感じだ。
それは“数”の話でも“数学”のロジックの話でもなく、“数学観”という生き物の哲学を感じたと表現すると気持ちは表せているかもしれない。伝わりはしないかもしれないが。。。
脳は数学に適していない。なぜなら脳で判断できるのは数字なら3迄だから。
一、二、三
Ⅰ、Ⅱ、Ⅲ
1、2、3
どれも象形文字の様に見た形で数がわかる。もし4以上の数字をこのままの規則で線を増やしても人間はパッと見て5なのか6なのか判断出来ない。
そーだねー。
数学は数ではなく感情の哲学なんです。
なんかその辺を知るにはこの日本の偉人で変人、岡潔氏を知ると面白かった。
それを知るにオモシロいくだりを中沢新一氏がかいているのでこちらへ!
ひとつ、すこーーしだけ目が覚めたのは、
『複雑な事・状況をシンプル化してシステムするのでなく複雑に返すべきだ』と。
シンプルシステム化する事に辛労する事が流れ的に多いが、そちらに逃げずに複雑に返す、この方が筋なのかなと。
まあともあれ森田真生氏の事をなにもうまく表現できず名を汚してそうですのでみなさん計算の数学と思わず、まさに数学の演奏会!ですのでこちらからご参加を!
AERA 2012年10月1日号 「現代の肖像 – 無限をひた走る全身数学家 -」
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