流離(さすらい)
i-57で同じくライターをしてるカメラマン、タナカヨシノリ氏の記事「ふと振り返ってみると」に触発され、おいらもふと振り返ってみた。 名古屋モード学園を出て、某アパレルメーカーに就職。 6年間で辞めちゃったけど、今から思うとあの会社でサラリーマンデザイナー時代に教えてもらった数々の事は今でも僕の宝物になってる。 今ならきっと会社の仕事は仕事と割り切り、自分のライフスタイルの中で会社とは別の「クリエイション」を探してたかもしれないが、いかんせん当時まだ20代、血気盛んな若者だった僕は、自分が思い描いていた「クリエイティブ」との違和感をいつも感じて会社で働いてた。 CREATIVE or DIE みたいな感じで(笑) 若かったというか馬鹿かったなー。 本当はクリエイティブのクの字さえもわからない小僧のクセに「クリエイティブとは!」みたいな持論を振りかざし、現実と理想のギャップに悩み、ついには会社をドロップアウトした。 辞めると決め、ある上司に相談した時に言われた事がある。 「なんで辞めなきゃいけないんだ?係長試験受ければ給料も上がるし、お前ならデザイナーじゃなく営業になればもっと上に行けるぞ。もっといい車に乗れるし、もっといいマンションにも住めるぞ」 って。 上ってどこだろう? ピュアすぎる俺にとって、世の中でいいとされている「ステイタス」なんてただのつまらない見栄以外のなにものでもなかった。 それよりもっと自由になりたかったし、先の見える生活に魅力を感じなかった。 「僕は高速道路より一般道、一般道よりオフロードがきっと好きなんです。高速道路に乗って、決まったスピードで走っていれば必ず目的地に辿り着く事ができますよね。決まった時間に決まった目的地に辿りつけるってわかってる旅なら旅する意味ってないような気がします。僕は目的地のない旅がしたいんだと思います、きっと。」 そんな馬鹿げた事を答えたような気がする。 あれから20年。 目的地のない楽しい旅、さすらいは続いています。
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